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漠然とした心配からの解脱。
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宗教を馬鹿にするな!解脱しろ!!

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宗教は嫌い。

簡単に物事を決めつけてはいないだろうか。

宗教により、多くの人の命が奪われたことも事実。

しかし、それ以上にたくさんの数の人間を幸せにしてきた事実もある。

今一度、宗教とはなにか、そして、自分の生活に応用できる部分はないかを考えるのだ。

宗教を馬鹿にするべからず

「宗教」という言葉を聞いて、悪いイメージを持つ人は多いと思います。

なぜなら、新興宗教というとオウム真理教のように悪質な事件を引き起こしたり、身近な出来事では訪問して勧誘してくるイメージがあるからだと思います。

宗教の勧誘は、NHKの勧誘と同じようにイメージが非常に悪いです。

普段、宗教との関わりがない人の大半は、否定的なものの味方をしていると思います。

しかし、宗教とひとくくりにしても、実際には非常に歴史の長いものから、最近始まったものまで様々な種類があります。

中には2000年以上も語り継がれるようなものもあるのです。

まずは、それだけ長い期間に渡り、語り継がれている物語に敬意を払ってもいいのではないでしょうか。

長きに渡り語り継がれていることに敬意を払う

宗教とは何かを定義する必要があります。

どのような要素が揃ったときに、宗教が成立するのでしょうか。

実は構成要素は簡単です。

宗教は、①教祖②教義③信者がそろえば、成立します。

簡単に言うと、これを読んでいるあなたが、なにか物語を語り、それを友達でも知り合いでもいいのですが、信じる人がいればそれは立派な宗教です。

何も修行などなくてもよいのです。

そのように簡単に成り立つ宗教ですが、長い間信仰されてきています。

これは、人間の性質に宗教というものはあっているからだと思います。

人間の性質とは何かを考えるときに、性善説と性悪説という考え方があります。

多くの人が勘違いしているのですが、これは人間とはもともと、いい生き物であるか悪い生き物であるのかを論じているわけではありません。

性善説が語っているのは、人間は本来、善であるので、普通に頑張れば立派な人間になることができるというような意味合いです。

それに対して、性悪説は、人は本来弱い存在であると語っているのです。

弱い存在であるために、欲望に左右されるところが大きいが、勉強すれば、正しく生きることができるというような主張です。

ここでは、人間は弱い生き物であるという考えを採用したいと思います。

頑張ろうとしても頑張れない。

太るとわかっていても、甘いものを食べてしまう。

朝は、少しでも眠りたい。

そのように、欲求に簡単に行動を支配されてしまう人間は、弱い生き物であると思うのです。

欲求に負けてしまい、自分を裏切るような行動を取る人こそ、正しく生きるために宗教を活用するべきなのです。

弱い人間が善く生きるためには合理的である

欲求に負けてしまうときは、選択肢が自分の手の中にあるときです。

甘いものを食べるか、食べないかを自分が決められる状態にあると、何度も欲望におそわれます。

しかし、信仰がある人は、教義に従って生きればいいので、悩むこともありません。

断食の時期は、ものを食べるか食べないかで悩むことはないのです。

なぜなら、選択肢がその人にはないからです。

これを思考停止と考えることもできます。

思考停止なんて、良くないんじゃないかと思う人もいるでしょう。

しかし、思考停止は非常に楽です。

選択肢が自分の手の中にある状態を、フランスの哲学者のサルトルは「自由の刑」と呼びました。

自由には責任と孤独が伴います。

自分の選択の結果、悪いことがおこってしまったときに、その責任をすべて自分個人で受け止めなくてはなりません。

そのような状態では、怖くて何をするにも恐れが生じるはずです。

しかし、特定の進行に従って生きる場合、自分の行動を人のせいにすることができます。

全ては、神の思し召しという考え方ができれば何をするにも非常に楽だと思います。

どんな辛い出来事があったとしても、全ては神の意志と信じることができるなら誤った道に進むことも少ないはずです。

宗教とは基本的には、弱い人間が幸せに生きるための、一つの道具なのです。

本来の解脱とは

話は少し変わりますが、このサイトは解脱PTを目指しておりますので、ここで一度、本来の「解脱」についても解説していきたいと思います。

本来の解脱を理解するためには、まずは仏教の世界観を理解する必要があります。

仏教にも枝分かれした、様々な流派がありますので、詳しく知りたい方は専門書をご参照ください。

Wikipedia:解脱 関連項目を参照ください

仏教は仏陀さんが教祖ですが、多くの宗教とは異なる世界観を持っています。

基本的に神はいません。

仏教の世界観は、世の中とは苦しみそのものであり、たとえ死んだとしてもまた生まれ変わってしまうので、苦しみから逃れることはできない。となっています。

キリスト教やイスラム教とは、明らかに異なる世界観ですよね。

解脱とは、悟りを得ることにより、苦しみの連続(輪廻)から逃れることのできた状態を指します。

解脱するために、お坊さんたちは一生懸命修行しているのです。

仏教はスパルタ

仏教は考え方からかなりスパルタの宗教です。

親鸞さんは日本の仏教界に大きな影響を与えた人物です。

親鸞さんは、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と唱えれば極楽浄土に行けるよ!」と主張していた方です。

この話を聞いて、そんな簡単に極楽浄土にいけるのか!すくわれるのか!と喜んだ人もいるかと思います。

免罪符を買えば救われるみたいな感覚だったのでしょう。

ですが、多くの方は極楽浄土を天国のような場所と勘違いしています。

極楽浄土とは、偉い人が、普通の人でも悟れるように、鍛えてくれる場所のことなのです。

つまり、現実で修行して悟るか、なむあみだぶつと唱えて、極楽浄土で鍛えてもらって、悟るかの2択から選ぶことができるのです。

どちらも解脱することが可能となります。

しかし、他の宗教と比べたとき、仏教の場合は神は救ってくれません。(そもそも存在しない)

結局のところ、自分で修行し、解脱しなくてはならないのです。

そこから転じて解脱PTとなった

輪廻の輪はつらく、苦しいものと語られています。

仏教の世界観が語るように、この世の中は苦しみや理不尽な出来事にあふれています。

そのような世界で生きていく上で、いつでも漠然とした不安に苛まされる危険性をはらんでいます。

その苦しみから解き放たれることは可能です。

知識を深め、外部からの影響に左右されない状態をつくったとき、ある意味では、それは悟りの境地と言えるのかもしれません。

このサイト自体は、極楽浄土のようなものを目指しております。

今まで、深く物事を考えてこなかった人にとっては、阿弥陀如来がビシバシ鍛えるのと同じように、辛く厳しい現実にさらされることになるかもしれません。

現実に向き合うことは辛いことです。

しかし、解脱への道を確実に歩めるようになってほしい。

苦しみにあふれる世の中を自分の足で歩けるようになってほしいと、切に願っているのです。

まとめ

宗教は弱い人間を救うための、一つの方法です。

生きていく上での一つの指針となります。

解脱という考えは、宗教の中でも、とりわけ厳しい姿勢を持っている考え方です。

この姿勢を応用して、解脱PTという存在を目指していきましょう。