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思考法

正しい主張は思考停止に陥る罠

ABテスト

一見誰の目にも正しいことを言っていることはわかる。

しかし、なぜかわからないが、その人の主張に対して違和感を感じている自分がいる。

違和感を感じてはいるが批判はしない。

意見を述べることすら、その人の反感を買ってしまう気がする。

そして、その人以外の人にも、自分を攻撃するための口実を与えてしまうように感じてしまう。

そのような同調圧力が一番怖い。

正しいことを言っている人

あなたの周りに、誰も反論できないようなことばかり言う人がいるのではないでしょうか?

例えば、職場には、

「真面目に仕事しろ。」

「もっと必死に働け。」

「患者のためだから。」

「人のことを大切にしなさい。」

というようなことを主張している人がいるかと思います。

一見正しいことを言っているように思います。

これは、ある一定の見方からすると正しいことであり、一般常識からすると誰にも批判されることのない主張だと思います。

しかし、自分自身がこのような発言をするようになっている場合、注意が必要です

正しいとは一つの目線でしかない

一見正しいことを言っているように見えますが、実はその主張は必ずしも正しいとは限りません。

ある特定の視点の上では、正しいことかもしれません。

しかし、別の視点から考えると間違っているのです。

正しいとはある一定の視点から見た上での答えであり、それが自分のためになるかというと、そうではないことが多々あります。

「真面目に仕事をしろ」という主張は誰にとって正しい主張か考えてみましょう。

これは間違いなく、経営者側の視点です。

会社の利益をあげるためには、従業員がサボっていると困るのです。

従業員側からしたら、不真面目に適当に働いている方がいいはずです。

あまりにもサボりすぎて、会社の経営が傾くようであれば問題ですが、必要最低限の努力でそれなりの成果を出していれば、従業員としては本来十分だと思います。

この傾向は海外の働き方を考えてみてほしいです。

仕事で出世したい人は、バリバリ仕事をしますが、それなりの給料で十分という人は、それなりの仕事しかしません。

「真面目に仕事をしろ」という主張は日本でしか通用しないのです。

出世して、お金を稼ぎたい人にとっては、真面目に仕事をすることは正しいことです。

それなりの待遇で十分な人にとっては、真面目に働くのは疲れるだけです。

このように、ひとつの主張は人によって答えが異なります

なので、正しいとされていることであったとしても、実は自分にとっては正しくないことも多々あります。

自分の利益を考える

正しい主張というものは、耳にしたときには圧倒的な正しさの上にあるため、切れ味の鋭い主張となります。

一見誰にも反論のできないように聞こえるので、正しい主張は反論するすきを与えずに支配しようとしてきます。

世の中の大半の人がそのことについて正しいと考えている場合、実際には例外があったとしても、異なる意見は言いづらいですよね。

なぜなら、常識を信じる人は、自分が圧倒的に正しいと考えているため、反対意見を述べることに躊躇がないからです。

はみ出しものを粛清しようとするような動きもはたらきます。

そのため、周りと異なる主張はしづらいのです。

さきほどの「真面目に仕事をすること」はどうでしょうか?

その考えががあたり前になっている職場は、経営者からすれば狙い通りなのではないでしょうか?。

その環境をつくるために、そ常識で自分自身を縛り、他人にも自分の常識を押し付けようとする人を予め職場に配置しているのです。

「真面目に仕事をすること」が当たり前の空気になるので、反対意見をいうものなら、組織から差別されるはずです。

そのような差別は公然と認められています。

しかし、そんな環境であったとしても、物事を広い視点で見渡すことが必要となります。

なぜなら、それは自分にとっての利益とは何かを考えることにつながるからです。

自分の利益について考えることは「自己中心的」と批判されがちです。

もしくは、聞こえのいい正しさを否定する姿勢も、反感を買いやすいのでしょう。

先程の「真面目に仕事をすること」について考えたとき、誰もが正しいと答えるはずです。

しかし、自分にとって「真面目に仕事をすること」が本当にいいのかどうかは、様々な視点から吟味した上でなくては導き出すことができないのです。

自分の疲労を軸に考えると、それほど真面目に働かないほうがいいと言うこと会えが出ます。

自分の成長を軸に考えると、真面目に取り組むほうがいいです。

それでは、精神衛生上は?

金銭的には?

自由な時間を持つ上では?

そのような様々な視点で考え、それらの要素を照らし合わせた上で、自分にとって「真面目に仕事をすること」が利となるか、不利となるのか決まります。

大衆はややこしい考えを嫌う傾向にあります。

複雑な考えごとから逃げているのでしょう。

そこから逃げない人を見ると、自分が考えることから逃げ出したことを思い知らされてしまいます。

利益至上主義は嫌われる

利益で物事を考えると嫌われる傾向にあります。

なぜなら、自分が圧倒的に正しいと信じていることを、否定されるわけですから相手にとってはいい気がしないはずです。

正しいかどうかを判断することは簡単ですが、自分にとって利があるかどうかを判断するには様々な視点から考えなくてはなりません。

考えるくせのついていない人にとってはしんどいことなのでしょう。

そのしんどいことから逃げている自分を、批判されているような気分になるのかもしれません。

あるいは、物事を深く考えることを嫌がる人たちが、利益で考えにくいような世の中に仕上げていったのかもしれません。

正しい主張というのは、特定の人達をコントロールするための道具として、用いられているように思えます。

利益至上主義とは物事を深く考えること

利益至上主義というとあまり聞こえのいい言葉ではありません。

しかし、利益を軸に考えるということは、様々な視点から物事を考えることに繋がります。

自分にとって正しいことかどうかを、多くの視点から考え、その良さと悪さを天秤にかけるのです。

そうすることで、自分にとって最も適した答えを導き出せるのです。

正しい答えで満足していては、それが誰にとって利益のある答えかわからないまま、選択してしまいます。

そもそも、比較したり、検討したりすることすらありません。

考えるという癖をつけるためには、利益を優先する必要があります。

利益とは、簡単には比較のできない要素に順番を付けた上で、自分にとっての最適解を導き出すことです。

人生とは、様々な選択肢のなかから選択してきた結果と言えるはずです。

選択することから逃げてはいけません。

選択から逃げることは、自由を捨て、人に操られることを受け入れることと同義です。

考えることが嫌になり、圧倒的な正しい差を選ぶ人も中にはいます。

それは、宗教であったり、特定の主義主張であったりするのでしょう。

そのような軸がない場合、自分で選択しなくてはなりません。

選択した上で不幸に見舞われたときに、神の思し召しと考えるか、自分の思考が甘かったと考えるかは自由です。

自分がどのような生き方をしたいのか決めた上で選択すればいいのだと思います。

まとめ

正しい言葉を信じることは楽である

それは特定の視点から考えられた一つの答えで、正解だからだ。

しかし、その正解が必ずしも自分のためになる解とは限らない。

世の中は、一つの正しさから成り立つことはない

様々な要素から、自分にとっての最適解を導き出していく必要がある。

必要なのは、自分にとっての利益をもとに考えることである。

自分にとっての、利益とは何かを考えよう

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答えのある世の中。答えのない人生。

引用・参考文献

司馬遼太郎:城塞